トリンテリックス(一般名:ボルチオキセチン)について


札幌市西区の精神科・心療内科、ことのはメンタルクリニックです。

うつ病の治療では、「気分の落ち込みが軽くなった」だけでは、十分に回復したと感じられないことがあります。

「仕事に戻ったものの、以前のように頭が働かない」
「つらさは減ったが、嬉しさや愛情まで薄れたように感じる」
「薬は効いているが、性機能への影響が気になる」

トリンテリックスは、こうした問題を考えるうえでも興味深い抗うつ薬です。ただし、研究で示された特徴と、実際の診療で期待できることは、丁寧に区別する必要があります。

この記事では、基本的な使い方に加え、国内外の臨床試験や基礎研究から、その特徴と限界を解説します。

トリンテリックスの概要

トリンテリックスの有効成分はボルチオキセチン(vortioxetine)で、日本での適応は「うつ病・うつ状態」です。

SSRIと共通するセロトニン再取り込み阻害作用に加え、複数のセロトニン受容体への作用を持つため、**「セロトニン再取り込み阻害・セロトニン受容体調節剤」**に分類されます。www.pmda.go.jp

新しい作用機序だから、すべての患者さんで従来薬より優れているという意味ではありません。どの症状を標的にし、何を指標に効果を評価するかが大切になる薬です。

作用機序――セロトニンの量だけでなく、伝わり方を調整する

ボルチオキセチンには、セロトニントランスポーター(SERT)の阻害に加え、5-HT1A受容体への作動作用、5-HT1B受容体への部分作動作用、5-HT3・5-HT7・5-HT1D受容体への拮抗作用が報告されています。www.pmda.go.jp

ただし、試験管内で確認された作用が、治療用量ですべて同じ程度に発揮されるわけではありません。結合親和性、脳内濃度、動物種の違いを含めて考える必要があります。

5-HT3受容体と「脱抑制」という考え方

ラットの海馬を用いた研究では、5-HT3受容体を介するGABA介在ニューロンの働きを抑えることで、錐体細胞への抑制が弱まり、その活動や長期増強(LTP)が促進される可能性が示されています。journals.sagepub.com

これは、単にセロトニンを増やすという説明から一歩進み、抑制性回路を調節することで、情報処理やシナプス可塑性に影響するという仮説です。

一方、動物の海馬でLTPが増強したことから、そのまま「人間の記憶力が上がる」とは言えません。基礎研究は臨床効果を説明する手がかりであり、臨床効果そのものの証明ではありません。

2024年の構造研究――「5-HT3拮抗薬」だけでは説明しきれない?

2024年の構造生物学研究では、ボルチオキセチンは齧歯類の5-HT3受容体では拮抗薬として働く一方、ヒト受容体では部分作動作用を示し、その後の脱感作を伴う機能抑制に関与する可能性が報告されました。

クライオ電子顕微鏡による構造解析と電気生理学的検討を組み合わせた研究で、受容体の構造と薬理作用の種差を示しています。Nature Structural & Molecular Biology

つまり、教科書的な「5-HT3受容体拮抗」という一言の背後にも、種差や時間依存的な作用があります。

この知見だけで臨床効果や吐き気の機序を確定することはできませんが、動物実験の説明をそのまま患者さんに当てはめないための、興味深い研究です。

抗うつ効果――国内試験の成功と、陰性試験の両方を見る

日本人患者を対象とした8週間の第III相試験では、10mg群・20mg群のいずれも、プラセボ群より抑うつ症状を改善しました。PMC

一方、それ以前の国内試験では、5mg群・10mg群とも、主要評価項目でプラセボとの差が統計学的に有意になりませんでした。Wiley Online Library

同じ薬でも、対象患者、組み入れ基準、プラセボ反応、解析方法などによって結果は変わります。陽性試験だけを並べるより、結果の揺らぎも含めて読むほうが、実臨床での位置づけを理解しやすくなります。

主要な研究をどう読むか

研究・対象主な結果診療での読み方
国内第III相試験:日本人の再発性うつ病、8週間MADRSのプラセボとの差は10mgで−2.66点、20mgで−3.07点両用量の抗うつ効果を支持するが、20mgが10mgより有意に優れることを示す数字ではない
先行する国内試験:366人、8週間5mg・10mgとも主要評価項目で有意差なし抗うつ薬の試験結果は一様ではない
FOCUS試験:成人602人、8週間10mg・20mgで認知機能の複合スコアがプラセボより改善認知機能への効果を支持するが、日常生活の回復と同義ではない
CONNECT試験:認知機能の不調を訴える成人、8週間DSSTのプラセボとの差は+1.75、標準化効果量0.254平均的な効果の大きさは小さい。全認知領域での改善を意味しない
SSRIによる性機能障害がある患者447人、8週間CSFQ-14の改善はボルチオキセチン8.8点、エスシタロプラム6.6点性機能障害を理由とした切り替えを考える根拠の一つ
COMPLETE研究・スペイン集団:67人、8週間感情鈍麻尺度ODQは平均26.0点改善対照群のない非盲検研究であり、薬剤固有の効果は確定できない
再発予防試験:寛解後に396人を無作為化再発は継続群13%、プラセボ切り替え群26%すでに薬が有効で耐容できた患者における継続効果を示す

※MADRSは低いほど抑うつ症状が軽く、DSSTは正答数が多いほど成績良好、CSFQ-14は高いほど性機能良好、ODQは低いほど感情鈍麻が軽い指標です。異なる研究の数値を、そのまま相互比較することはできません。PMC

認知機能への効果――「頭が働かない」にどこまで応えられるか

トリンテリックスの特徴としてよく紹介されるのが、うつ病に伴う認知機能低下への効果です。

ここで重要なのは、患者さんが感じる認知機能の不調と、客観的な検査成績を分けることです。

「頭が働かない」という訴えには、情報処理の遅れに加えて、疲労、不眠、不安、意欲低下、自分の能力に対する否定的な評価なども関係します。

海外試験では改善が示された

FOCUS試験では、情報処理速度などを評価するDSSTと、言語性学習・記憶を評価するRAVLTを組み合わせた認知機能スコアが改善しました。pubmed.ncbi.nlm.nih.gov

CONNECT試験でも、主要評価項目であるDSSTでプラセボとの差が認められました。ただし、標準化効果量は0.254で、平均的には小さい効果です。PMC

「有意差がある」ことと、「仕事のミスがなくなる」「復職が成功する」ことは同じではありません。検査成績と、本人にとって意味のある機能回復の間には、さらに検討すべき距離があります。

日本の承認試験では、客観的検査に有意差がなかった

国内試験では、主観的な認知機能を評価するPDQ-5は改善した一方、客観的なDSSTではプラセボとの差が有意になりませんでした。PMC

この結果は、海外の陽性試験と合わせて知っておきたい点です。対象患者や検査の条件によって結果が異なり、すべての患者さんで認知機能の改善を再現できるわけではありません。

診察では「集中できますか」だけでなく、読書、書類作成、家事の段取り、会話の理解など、困っている作業を具体化して経過を見ることが役立ちます。

「気分の改善とは独立した作用」は証明されたのか

FOCUSなどの研究では、抑うつ症状の変化を調整する解析から、認知機能への直接的な作用が示唆されています。pubmed.ncbi.nlm.nih.gov

ただし、統計的に抑うつ症状の変化を調整しても、両者を生物学的に完全に切り離せるわけではありません。測定誤差や解析モデルの仮定も影響します。

したがって、「気分とは別に認知機能へ作用する可能性がある」とは言えても、その作用の大きさを個々の患者さんで予測できる段階ではありません。

エスシタロプラムより認知機能に優れる?

治療反応が不十分な患者101人を対象とした8週間の二重盲検比較試験では、ボルチオキセチンとエスシタロプラムの両群で認知機能などが改善しましたが、DSST・UPSA-Bの群間差は有意ではありませんでした。pubmed.ncbi.nlm.nih.gov

小規模な探索的研究であり、同等性を証明したわけでもありません。それでも、「プラセボより改善した」ことを、そのまま「SSRIより優れる」に置き換えることはできないと分かります。

性機能――切り替えを考える具体的な根拠がある

SSRIによる性機能障害は、症状が改善していても治療継続を難しくすることがあります。

この問題では、トリンテリックスに比較的具体的な比較試験があります。

シタロプラム、パロキセチン、セルトラリンで抑うつ症状は改善しているものの性機能障害が生じた患者を、ボルチオキセチンまたはエスシタロプラムに切り替えた研究です。

8週後の性機能尺度CSFQ-14の改善は、ボルチオキセチン群で有意に大きく、両群とも抗うつ効果は維持されていました。academic.oup.com

ただし、これは**「SSRIで性機能障害が起きた方の切り替え試験」**です。最初から薬を使う場合の副作用発生率や、すべてのSSRIとの優劣を示した研究ではありません。

「プラセボと差がない」と「副作用がない」は別

7つの短期試験を統合した解析では、性機能障害の頻度は用量とともに増える傾向がありました。5mgではプラセボに対する非劣性が示された一方、10~20mgでは事前に定めた非劣性基準を満たしませんでした。

他方、各用量とプラセボの比較では、性機能障害のリスク増加は統計学的に有意ではありませんでした。PubMed

この一見ややこしい結果は、「差を検出できなかった」ことと、「差が十分に小さいと確認できた」ことの違いを示しています。

性機能への負担が比較的小さい可能性はありますが、性欲低下、勃起不全、射精遅延が起こらない薬ではありません。

感情鈍麻――「つらくないけれど、嬉しくもない」

感情鈍麻(emotional blunting)は、悲しみだけでなく、喜び、愛情、怒りなど、感情全体の振れ幅が小さくなるような体験です。

快感を感じにくいアンヘドニアと重なりますが、同じ概念ではありません。また、うつ病の残遺症状なのか、薬の影響なのか、両方なのかを区別しにくい問題でもあります。

COMPLETE研究のスペイン集団では、SSRI・SNRIで部分反応と感情鈍麻が残る患者67人をボルチオキセチンへ切り替え、8週間でODQの改善が認められました。PMC

これは切り替えの可能性を考える材料になります。ただし、非盲検で対照群がないため、前薬の中止、期待効果、自然経過、うつ症状自体の改善を分離できません。

「感情鈍麻を訴える患者さんで検討する根拠」にはなりますが、「感情を取り戻す効果が確立している」とまでは言えません。

臨床では、「楽しくない」のか、「嬉しくも悲しくもない」のか、「関心が湧かない」のかを聞き分けること自体が、治療方針を考える手がかりになります。

10mgと20mg――増量すればよいのか

日本では通常10mgを1日1回服用し、状態に応じて20mgを超えない範囲で調整します。増量間隔は1週間以上です。www.pmda.go.jp

PET研究をまとめた海外製品情報では、SERT占有率は5mgで約50%、10mgで約65%、20mgで80%超とされています。10441

用量を増やすことで薬理学的な作用は変化しますが、占有率の上昇と臨床的な改善は一対一に対応しません。

国内試験でも、10mg・20mgはいずれも有効でしたが、平均値の差だけから20mgの優越性は判断できません。PMC

実際の増量では、残っている症状、服用期間、吐き気や性機能への影響、併用薬を合わせて評価します。「20mgまで飲まなければ効かない」と一律に考える必要はありません。

薬物動態――半減期の長さとCYP2D6が処方を左右する

ボルチオキセチンの消失半減期はおよそ66時間で、定常状態には通常約2週間で達します。食事による薬物動態への大きな影響は認められていません。TRINTELLIX- vortioxetine tablet, film coated

半減期が長いことは血中濃度の急変を抑える一方、増量や併用薬変更の影響が十分に現れるまで時間がかかることも意味します。服用翌日の印象だけで用量を判断しにくい点です。

代謝には複数の酵素が関与しますが、主にCYP2D6が重要です。

健康成人の相互作用試験では、CYP2D6阻害薬ブプロピオンとの併用でボルチオキセチンのAUCが128%増加、すなわち約2.3倍になりました。一方、リファンピシンではAUCが72%低下しました。PubMed

これは海外の試験ですが、**「同じ10mgでも、併用薬によって体内の曝露量はかなり変わり得る」**という実用的な知見です。

国内添付文書でも、CYP2D6阻害薬の併用時や、CYP2D6の活性が欠損することが分かっている方では、10mgを上限とすることが望ましいとされています。www.pmda.go.jp

SSRI・SNRIからの切り替えに使えるのか

SSRI・SNRIの単剤治療で反応不十分だった患者を対象とした12週間の二重盲検試験では、ボルチオキセチンへの切り替えは、アゴメラチンへの切り替えより、主要評価時点の8週でMADRSを2.2点多く改善しました。PubMed

少なくとも、前薬で十分に改善しなかった患者における選択肢を支持する結果です。

ただし、1コースの単剤治療への反応不十分と、複数の十分な治療に反応しない治療抵抗性うつ病は同じではありません。増強療法などに対する優越性を示した研究でもありません。

また、切り替えの際には、前薬の中止後症候群、新薬の副作用、セロトニン作用の重複、代謝酵素への影響を同時に考えます。患者さん自身の判断で薬を入れ替えないことが大切です。

不安にも効く?――「うつ病に伴う不安」と「不安症」を分ける

抗うつ薬として使えることと、あらゆる不安症に有効であることは別です。

ボルチオキセチンの全般性不安症に対する試験では、陽性の結果もありますが、米国の5mg試験や2.5mg・10mgの固定用量試験では、主要評価項目で有意差が得られませんでした。PubMed

そのため、うつ病に伴う不安への対応と、全般性不安症などを主な治療対象とする場合は分けて考えます。日本での承認適応は、うつ病・うつ状態です。

副作用――「5-HT3に作用するのに吐き気が出る」という問題

5-HT3受容体を抑える薬には制吐薬もありますが、ボルチオキセチンでは吐き気が代表的な副作用です。

単一の受容体作用から、薬全体の副作用を予測できない例と言えます。複数の作用やヒト受容体での挙動が関係する可能性はありますが、吐き気の機序を一つに決めることはできません。

国内第III相試験での吐き気は、10mg群12.7%、20mg群15.3%、プラセボ群0.6%でした。副作用は治療初期に多くみられました。PMC

吐き気があれば必ず中止するわけではありませんが、水分や食事が取れないほど強い場合は早めの相談が必要です。

見逃したくない症状

強い焦燥、落ち着かなさ、気分の異常な高ぶり、希死念慮の悪化は、開始時や増量時に確認します。特に24歳以下では、抗うつ薬による自殺念慮・自殺企図のリスク増加に注意が必要です。

高熱、発汗、筋肉のこわばり、震え、意識の変化などが重なった場合は、セロトニン症候群を疑い、服用を中止して直ちに医療機関へ連絡してください。けいれん、低ナトリウム血症を伴うSIADHにも注意します。www.pmda.go.jp

MAO阻害薬との併用は禁忌で、切り替え時にも休薬期間が必要です。他の抗うつ薬、トラマドール、一部の咳止め、サプリメントを含め、飲み合わせを確認します。眠気やめまいがある場合は運転を避けてください。www.info.pmda.go.jp

再発予防と中止――長い半減期でも離脱症状は起こる

再発予防試験では、12週間のボルチオキセチン治療で寛解した患者を、継続群とプラセボへの切り替え群に分けました。再発は継続群で13%、プラセボ群で26%でした。journals.sagepub.com

ただし、これは薬が有効で耐容性も良かった患者を選んで無作為化する、いわゆるエンリッチメント型の試験です。初めて処方される患者さん全員に、この数字を当てはめることはできません。

また、「半減期が長いから離脱症状は起こらない」という理解も正確ではありません。

2026年10月改訂の国内添付文書には、急な中止に伴う不安、めまい、感覚異常、不眠、疲労、頭痛、吐き気などが明記されています。中止時は症状を観察しながら慎重に減量します。www.pmda.go.jp

診療でどう位置づけるか

以上の研究からは、うつ病に認知機能の不調が伴う場合や、前薬で性機能障害・感情鈍麻が問題になる場合に、トリンテリックスを検討する理由があります。ただし、これは研究を踏まえた臨床的な整理であり、患者像だけで効果を予測できるものではありません。

認知機能には検査と本人の実感の両方、性機能には服用前後の変化、感情鈍麻にはうつ病の残遺症状との区別が必要です。

抗うつ薬の評価では、症状尺度に加えて、「仕事の書類を最後まで読めるようになった」「家族との時間を楽しめるようになった」といった、患者さんにとって意味のある回復を確認することが大切です。

なお、紹介した研究には製薬企業が関与したものも多くあります。利益相反だけで結果を否定する必要はありませんが、事前に定めた主要評価項目、対照群の有無、効果量、陰性結果も合わせて読む姿勢が必要です。

参考文献・資料

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  19. PMDA:トリンテリックス錠10mg・20mg 患者向医薬品ガイド。

情報確認日:2026年10月17日

執筆及び医学監修:高橋 和政(ことのはメンタルクリニック院長)