双極性障害の薬が自殺リスクを下げるというのは本当か

札幌市西区の精神科・心療内科、ことのはメンタルクリニックです。
「双極性障害の薬には、自殺を防ぐ効果がある」
このような話を聞いたことがあるでしょうか。
気分の波を抑えるだけでなく、命を守ることにもつながるのであれば、とても重要な働きです。
結論からいうと、双極性障害の治療薬のなかでも、リチウムには自殺リスクの低下を支持する研究が積み重なっています。ただし、「飲めば確実に自殺を防げる」「双極性障害の薬なら、どれも同じ効果がある」とまではいえません。無作為化比較試験では、予防効果が明確に確認されていないという、重要な論点も残っています。
今回は、長く使われてきたリチウムという薬と、自殺予防をめぐる研究の意外な難しさについて解説します。
主に研究されてきたのは「リチウム」
リチウムは、双極性障害の治療で長年使われてきた気分安定薬です。日本では炭酸リチウムとして処方され、リーマスという商品名でも知られています。
躁状態を改善し、長期的には気分のエピソードの再発を防ぐために用いられます。その治療を続けている患者さんで、自殺や自殺企図が少ないという報告が重なり、自殺予防の観点からも注目されるようになりました。
ここで区別したいのは、「双極性障害を治療する効果」と「自殺を予防する効果」です。
病気の症状や再発を減らすことは、当然、自殺リスクを下げる方向に働くと考えられます。しかし、ある薬が躁状態やうつ状態に効くからといって、その薬単独の自殺予防効果まで証明されたことにはなりません。
リチウムについては、このもう一段先の問いが、長く研究されてきたのです。
約5万人の研究では、服用中に自殺関連の出来事が少なかった
代表的な研究の一つが、2017年に報告された、スウェーデンの双極性障害患者約5万人を対象にした研究です。
この研究の特徴は、単に「リチウムを飲んでいる人」と「飲んでいない人」を比較するだけでなく、同じ患者さんのなかで、服用している期間と服用していない期間を比較したことです。
結果として、リチウムを服用している期間には、自殺企図と自殺死亡を合わせた自殺関連イベントの発生率が14%低いという関連が認められました。一方、同じ研究で調べられたバルプロ酸では、同様の低下は確認されませんでした。
ただし、これは「服用すると、その人の自殺確率が必ず14%下がる」という意味ではありません。また、自殺死亡だけを調べた数字でもありません。
同じ人のなかで比較すれば、生まれ持った特徴などの影響を減らせます。それでも、服用期間には通院が安定していた、生活が整っていた、といった時間とともに変化する要因までは完全に取り除けません。
この研究は重要な根拠ですが、薬の因果的な効果を単独で確定する研究ではない、という位置づけです。
「自殺予防効果がある」と広まった背景
2013年には、気分障害に対するリチウムの48件の無作為化比較試験、計6,674人をまとめたメタ解析が発表されました。
そのうち、リチウムとプラセボを比較できたデータの解析では、リチウム群で自殺死亡が少ないという結果が得られました。自殺死亡のオッズ比は0.13でした。
一方、意図的な自傷については、明確な予防効果は確認されませんでした。
この研究は、リチウムの自殺予防効果を支持する代表的な論文として知られています。
ただし、48件すべてが「自殺予防を主目的として、リチウムとプラセボを比較した試験」だったわけではありません。また、対象には双極性障害だけでなく、うつ病なども含まれています。
大きな数字だけを見るよりも、どの患者さんを対象に、何を比較し、何が減ったのかを読む必要があります。
ところが、その後の研究では結論が揃っていない
ここからが、このテーマの少し意外なところです。
2022年に発表された、12件の無作為化比較試験、計2,578人をまとめた別のメタ解析では、自殺死亡はリチウム群で0.2%、プラセボまたは通常治療群で0.4%でした。しかし、統計学的に有意な差は認められませんでした。
2025年に公表された別のメタ解析でも、自殺死亡と自殺企図の推定値はリチウムに有利な方向でしたが、いずれも統計学的に有意ではありませんでした。
自殺死亡のオッズ比は0.61、95%信頼区間は0.25~1.48。自殺企図のオッズ比は0.73、95%信頼区間は0.41~1.31でした。どちらも「差がない」ことを示す1をまたいでいます。
「昔は効くといわれていたのに、今は効かないことになったの?」
そう感じるかもしれません。
しかし、「効果があると十分に示せなかった」ことと、「効果がないと証明された」ことは違います。同時に、数値が良い方向を向いていたというだけで、「本当は効いている」と決めつけることもできません。
現時点では、効果を支持する根拠と、確実性を下げる根拠の両方がある、というのが正確です。
なぜ、自殺予防効果の証明は難しいのか
一つの理由は、自殺死亡が、臨床試験のなかでは発生件数の少ない出来事だからです。
例えば、治療によって本当に発生率が下がっていても、試験全体で起きた出来事が数件であれば、偶然のばらつきと区別することが難しくなります。
そのため、十分な人数と長い観察期間が必要です。しかし、長期間にわたって決められた治療を続けてもらうことは容易ではありません。服薬の中断、治療の変更、血中濃度の違いなども、結果に影響します。
さらに、研究ごとに「自殺死亡」「自殺企図」「自傷」「自殺予防のための入院」など、評価している出来事が異なります。これらを同じものとして扱うことはできません。
例えば、「死にたい気持ちが軽くなった」という結果は大切ですが、それだけで将来の自殺死亡が減ると証明されたわけではありません。
患者さんにとってはつながりのある問題でも、研究では別々に確かめる必要があるのです。
大きな比較試験でも、単純な答えは出なかった
自殺に関連した出来事を最近経験した、うつ病または双極性障害の退役軍人519人を対象に、通常の治療にリチウムかプラセボを追加した試験もあります。
この試験では、自殺企図や自殺予防のための入院などを合わせた主要評価項目について、リチウム追加の優位性は確認されませんでした。
この結果は、「自殺リスクが高い人にリチウムを追加すれば、それだけで問題が解決する」という考えへの重要な歯止めになります。
ただし、うつ病と双極性障害が混在していたことや、併存する病気、服薬継続、血中濃度なども踏まえる必要があります。この試験だけで、双極性障害に対する長期的なリチウム治療の価値全体を否定することはできません。
2024年の米国VA/DoDの自殺リスク診療ガイドラインも、気分障害における自殺・自殺企図の予防を目的としたリチウムについて、推奨するにも反対するにも根拠が不十分としています。これは、双極性障害の治療薬として使わないよう勧めている、という意味ではありません。
リチウムは、なぜ自殺リスクを下げる可能性があるのか
考えられているのは、主に二つの経路です。
一つは、気分のエピソードの再発を防ぎ、強い抑うつや不安定な状態にさらされる時間を減らすことです。
双極性障害では、落ち込みだけでなく、焦燥感、怒り、興奮、衝動性などが重なることがあります。気分は苦しいのに、頭や身体は落ち着かない。このような状態も、自殺リスクを考えるうえで重要です。
もう一つは、衝動性や攻撃性、焦燥などへの作用を通じて、自殺行動に至る過程に影響する可能性です。
ただし、これらの経路が人間の自殺予防効果をどの程度説明するのかは、確定していません。
「気分が改善するからなのか」「気分の改善とは一部独立した作用があるのか」は、今も研究されている問いです。
また、リチウムが有効だからといって、双極性障害が「体内のリチウム不足で起こる病気」だということにもなりません。薬の働きと、病気の原因は分けて考える必要があります。
リチウム以外の薬には、意味がないのか
もちろん、そのようなことはありません。
双極性障害の治療では、現在の症状、これまでの再発の仕方、副作用、身体の病気、妊娠に関する事情などによって、薬を選びます。
リチウム以外にも、再発予防や双極性うつ病の治療などで役割を持つ薬があります。自殺予防の研究がリチウムほど蓄積していないことと、治療上の価値がないことは別です。
「自殺予防の話を聞いたから、今の薬をやめてリチウムに替える」という判断は適切ではありません。
患者さんごとの病状と安全性を踏まえ、長期的に続けられる治療を組み立てることが大切です。
命を守る可能性がある薬だからこそ、安全管理も欠かせない
リチウムは、血液中の濃度を確認しながら使う必要がある薬です。
脱水、食事や水分の摂取不足、腎機能の変化、一部の鎮痛薬などとの飲み合わせによって、血中濃度が上がることがあります。腎機能や甲状腺機能などの確認も必要です。
いつもと違う強い手の震え、ふらつき、ろれつの回りにくさ、意識のぼんやりなどが出たときは、中毒の可能性も考えて速やかに医療機関へ連絡してください。
自殺リスクが高い時期には、薬の選択に加えて、処方日数や保管方法も含めた安全対策が必要です。本人と相談しながら、必要に応じて家族などの支援も取り入れます。
薬の効果を期待することと、安全に使える環境を整えることは、ひと続きの治療です。
「飲んでいるから大丈夫」ではなく、つらさを伝えてよい
リチウムを服用していても、つらさが強くなったり、死にたい気持ちが出たりすることはあります。それは、本人の努力が足りないという意味でも、治療がすべて無意味だったという意味でもありません。
薬は、自殺予防を支える要素の一つです。睡眠や気分の変化を早めに把握すること、飲酒や併存症への対応、心理的・社会的な支援、安全計画などを組み合わせて考えます。
受診時には、落ち込みだけでなく、「眠れていない」「そわそわして落ち着かない」「衝動的になっている」「死にたい気持ちが強くなった」といった変化も伝えてください。
今すぐ自分を傷つけてしまいそうな場合は、次の予約まで待たず、一人にならずに、主治医や救急医療へつながることを優先してください。
リチウムには、自殺リスクを下げる可能性を支持する重要な研究があります。一方で、その効果の大きさや、どの患者さんにどの程度期待できるのかには、まだ不確実性があります。
その両方を理解しながら、一人ひとりに合う治療と支援を続けていくことが大切です。
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情報確認日:2026年10月23日
執筆及び医学監修:高橋 和政(ことのはメンタルクリニック院長)