FIREをすれば人は幸せになれるのか

札幌市西区の精神科・心療内科、ことのはメンタルクリニックです。
「十分なお金を貯めて、仕事を辞めたい」
「毎日が休日になれば、きっと幸せになれる」
「でも、働かなくなったら、何をして生きればいいのだろう」
こうした期待と不安を集めているのが、FIREという生き方です。Financial Independence, Retire Earlyの略で、経済的な自立を実現し、早期退職を目指す考え方を指します。
最初に結論を述べると、FIREによって幸せになる人はいるでしょう。ただし、経済的な安心を得ること、仕事のストレスから離れること、充実した毎日を送ることは、それぞれ別の課題です。
仕事を辞めれば、つらい月曜日はなくなるかもしれません。しかし、楽しみな月曜日まで自動的に生まれるわけではありません。
今回は、退職とメンタルヘルスの研究から、自由時間の意外な落とし穴、そして「働かなくてもよいのに働く」という選択までを考えます。
FIREの「経済的自立」と「早期退職」は、分けて考えたい
FIREという言葉では、お金の問題と働き方の問題が一つにまとまっています。
しかし、経済的に自立したからといって、必ず仕事を辞める必要はありません。反対に、仕事を辞めたからといって、経済的な不安がなくなるとも限りません。
2026年に公表されたFIREコミュニティの研究は、この点を考えるうえで興味深いものです。
研究者は2年間の参与観察と55人への複数回のインタビューなどを通じて、参加者が目指す働き方を調べました。そこで中心にあったのは、仕事を経済的な義務から、自分で選べるものへ変える「work optional」という考え方でした。
これは、FIREをすれば幸福になると証明した研究ではありません。人々が働くことの位置づけを、どのように変えていくかを調べた質的研究です。
それでも、「仕事を辞めたい」という言葉の中に、「嫌な条件でも働き続けるしかない状態から抜けたい」という願いが含まれていることに気づかせてくれます。
同じ仕事でも、生活のために断れずに続ける場合と、条件が合わなければ離れられる場合では、感じ方が違うかもしれません。
仕事を辞めると、実際にメンタルはよくなるのか?
退職後に心身の負担が軽くなることは、研究でも報告されています。
フランスのGAZEL研究では、退職に伴って精神的疲労、身体的疲労、抑うつ症状が大きく減少しました。一方、糖尿病や冠動脈疾患など、主要な慢性疾患の増加傾向に、退職を境とした明確な変化は認められませんでした。
ここが面白いところです。
「疲れが取れた」「気分が楽になった」という変化と、「身体の病気が減った」という変化は、同じではありません。
仕事の負担から離れることで、日々のつらさが改善しても、それだけですべての健康問題が解決するわけではないのです。
また、この研究の対象は、一定の雇用・年金条件のある集団です。若くして退職し、何十年もの生活費を運用資産で支える人へ、そのまま当てはめることはできません。
「退職は心によい」という研究と、悪いという研究がある理由
退職とうつ症状の関係は、研究によって結論が異なります。
41研究、約55万7千人をまとめたメタアナリシスでは、退職はうつのリスクが低いことと関連していました。ただし、研究間のばらつきは非常に大きいものでした。
一方、25件の縦断研究をまとめた別のメタアナリシスでは、退職は平均的にはごく小さな抑うつ症状の増加と関連していました。その関連は、本人が望まない退職で強く、自発的な退職では統計学的に明確ではありませんでした。
これらを、単純に「研究は当てにならない」と読む必要はありません。
退職する人の状況が、そもそも大きく違うからです。
十分な資産を持って、自分の希望で仕事を辞める人。病気で続けられなくなった人。働きたかったのに退職を迫られた人。この三者を、すべて「退職者」としてまとめれば、違う方向の影響が混ざります。
さらに、うつ症状が退職の結果なのか、もともとのうつ症状が退職につながったのか、という逆方向の関係もあります。
診療でも研究でも、知りたいのは「仕事をしているか」だけではありません。なぜ辞めたのか、本人が望んだのか、辞めた後の生活はどうなったのかまで確認する必要があります。
お金が増えれば、心の問題も解決するのか?
「お金があっても幸せにはなれない」と言い切るのも、研究に忠実な説明ではありません。
スウェーデンの宝くじ参加者を調べた研究では、大きな当選金を得た人で、人生全体への満足度が長期間高くなっていました。その効果は10年以上続き、時間とともに消えるという明確な証拠はありませんでした。
ただし、日々の幸福感やメンタルヘルスへの影響は、人生満足度への影響より小さいものでした。
「自分の人生は、全体としてうまくいっている」と評価することと、今日を楽しく過ごせることは、重なりながらも違う側面です。
資産が増えて、将来への見通しがよくなる。それでも、孤独や夫婦関係の悩み、不眠が残ることはあり得ます。
この研究はFIREの効果を直接調べたものではありませんが、お金が改善しやすい部分と、それだけでは十分に改善しない部分を考える手がかりになります。
自由時間は、多ければ多いほど幸せなのか?
忙しいときには、予定のない日が何より魅力的に見えます。
しかし、自由時間が増えるほど、幸福感も際限なく高まるのでしょうか。
2021年の研究では、自由に使える時間が少なすぎることは、ストレスや低い幸福感と関連していました。一方、自由時間が非常に多い場合にも、幸福感が低くなることがあり、その背景として、充実感や何かを成し遂げている感覚の乏しさが検討されました。
また、時間を有意義な活動に使う条件では、自由時間が多いことの悪影響が弱まる結果も得られました。
ただし、「暇は身体に悪い」「毎日何か成果を出すべきだ」という意味ではありません。疲れ切っているときには、まず休むことが必要です。
ここで考えたいのは、休息と、本人が望んでいない空虚さの違いです。
「今日は何もしないと決めて、ゆっくりできた」と感じる一日と、「今日も何もできず、誰とも話さなかった」と感じる一日は、外から見ると似ていても、体験としては違います。
仕事を辞めると、給料以外にも失うものがある
仕事は、ストレスの原因になる一方で、生活のさまざまな役割を担っています。
| 仕事から得ているもの | 退職後に考えたいこと |
|---|---|
| 定期的な収入 | 生活費の見通しと、安心して使える範囲 |
| 起床・外出のきっかけ | 自分に合った生活のリズム |
| 日常的な人との接点 | 無理なく会える相手や通える場所 |
| 技能を使う機会 | 学び、趣味、創作、必要なら小さな仕事 |
| 役割や達成感 | 自分が関わりたい活動 |
| 職業に結びついた自己紹介 | 仕事以外の自分の関心や居場所 |
これらをすべて仕事で満たす必要はありません。反対に、仕事を辞めるだけで自然に補われるとも限りません。
英国の縦断研究では、退職後に所属する社会的なグループを失うことが、その後の低い生活の質や高い死亡リスクと関連していました。ただし、観察研究であり、所属を増やせばその分だけ寿命が延びると証明したものではありません。
退職の準備というと、お金の計算が中心になりがちです。
しかし、「退職後、平日の昼間に誰と話せるか」「定期的に顔を出したい場所があるか」も、生活を考えるうえで役立つ質問です。
資産形成が得意な人でも、「使って暮らす」段階では戸惑うかもしれない
これはFIREの研究で一律に証明された現象ではありませんが、生活を考えるうえで見落としやすい点です。
資産形成では、支出を抑え、残高を増やすことが目標になります。退職後には、その資産を使いながら暮らす段階へ移ります。
計画どおりの支出でも、残高が減ること自体が不安になる人はいるでしょう。
また、仕事の評価から自由になったつもりでも、今度は毎日の運用成績に気分を左右されることがあるかもしれません。
投資を楽しむことに問題があるわけではありません。ただ、資産の数字が、その日の安心や自己評価をほぼ独占しているなら、生活の満足を別の場所にも持てないか考える余地があります。
FIREの達成額だけでなく、達成後にどのようにお金と付き合いたいかまで想像しておくと、準備はより具体的になります。
少し働き続けるほうが、幸せなのか?
完全に辞める代わりに、勤務日数を減らす。負担の大きい業務から離れる。興味のある仕事だけ続ける。
こうした選択が合う人もいるでしょう。
ただし、「段階的に辞めるほうが、必ずメンタルによい」とまでは言えません。
日本の中高年者10,253人のデータを用い、年金受給資格年齢を利用して因果関係の推定を試みた研究では、急に完全退職する経路と、段階的に完全退職する経路で、身体機能と抑うつへの影響が異なっていました。段階的な退職が、すべての健康指標で有利だったわけではありません。
この研究の対象は、主に通常の退職年齢に近い世代です。また、推定結果は年金受給資格によって退職行動が変わる人についてのもので、若いFIRE実践者全体へは一般化できません。
それでも、仕事を少し残せばよいという単純な話ではなく、残す仕事の条件まで見る必要があることを示しています。
好きな仕事を週2日する生活と、嫌な仕事を週2日我慢する生活では、同じ「週2日勤務」でも違います。
FIREを決める前に、どんな生活を送りたいか試してみる
ここからは、研究で効果が確立した手順ではなく、退職後の生活を具体化するための提案です。
考えてみたいのは、「辞めた初日」よりも「辞めて半年後の普通の火曜日」です。
朝は何時ごろ起きるのか。何を楽しみに外へ出るのか。誰と話すのか。雨の日にはどう過ごすのか。家族とは、どのくらい一緒にいたいのか。
可能なら、休暇や勤務日数の調整を利用して、その生活の一部を試してみてもよいでしょう。
旅行や特別な予定で埋まった休暇だけでなく、日常に近い過ごし方をしてみると、自分に必要なものが見えやすくなります。
また、「辞めてみたけれど、少し働きたくなった」という変化を失敗と決める必要もありません。暮らしてみて分かったことに合わせて、選び直してよいのです。
「仕事を辞めたい」が、心の不調から来ている場合もある
仕事を離れることが必要な場面はあります。強い負担や不適切な職場環境を、無理に我慢する必要はありません。
一方、仕事以外の楽しみまで失われている、休日も気分が回復しない、不眠や食欲低下が続く場合には、退職後の生活設計と並行して、心身の状態も確認したいところです。
うつ病などの不調があれば、仕事を辞めても症状が残る可能性があります。だからといって、環境調整が無意味ということでもありません。
休養、業務の調整、治療、経済面の検討を組み合わせながら、その人が選べる状態を取り戻していくことが大切です。
FIREを目指すこと自体が悪いのではありません。ただ、「達成するまでは、健康も楽しみもすべて後回し」という計画になっているなら、途中の暮らしも見直してかまいません。
幸せなFIREを考えるために
FIREによって、生活のために働き続けなければならない負担が軽くなる人はいるでしょう。一方、退職後には、時間の使い方や人との関わりを、自分で組み立てる場面が増えます。
現時点では、若くして経済的自立を達成した人について、FIREそのものが長期的な幸福をどの程度高めるかを、十分な確かさで答えられる研究は限られています。通常の退職研究は参考になりますが、年齢や資産、年金、家族状況の違いに注意が必要です。
「仕事を辞められるだけのお金があるか」と一緒に、「辞めた後、どんな日常を送りたいか」を考えてみてください。
働かない生活が合う人もいれば、少し働く生活が合う人もいます。経済的な余裕を背景に、今の仕事を続けたい人もいるでしょう。
自分が安心して暮らせて、無理なく人と関われて、明日やりたいことを持てる。その形を探すことが、FIREを幸せにつなげるための大切な準備なのだと思います。
参考文献・資料
- Sonday L. “Work Optional”: The Adoption and Enactment of a New Work Ideal in the Financial Independence Retire Early Community. Administrative Science Quarterly. 2026. 論文
- Westerlund H, et al. Effect of retirement on major chronic conditions and fatigue: French GAZEL occupational cohort study. BMJ. 2010;341:c6149. 論文
- Odone A, et al. Does retirement trigger depressive symptoms? A systematic review and meta-analysis. Epidemiology and Psychiatric Sciences. 2021;30:e77. 論文
- The Longitudinal Association Between Retirement and Depression: A Systematic Review and Meta-Analysis. American Journal of Epidemiology. 2021;190(10):2220–2230. 論文
- Lindqvist E, Östling R, Cesarini D. Long-Run Effects of Lottery Wealth on Psychological Well-Being. The Review of Economic Studies. 2020;87(6):2703–2726. 論文
- Sharif MA, Mogilner C, Hershfield HE. Having too little or too much time is linked to lower subjective well-being. Journal of Personality and Social Psychology. 2021. 論文
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- Mizuochi M. Retirement Pathways’ Effect on Physical and Mental Health: Evidence from Japan. Journal of Aging and Health. 2024. 論文
情報確認日:2026年10月23日
執筆及び医学監修:高橋 和政(ことのはメンタルクリニック院長)