なぜ精神疾患は進化の過程でなくならなかったのか


札幌市西区の精神科・心療内科、ことのはメンタルクリニックです。

「うつ病や統合失調症は、生活に大きな影響を与える病気なのに、どうして進化の過程でなくならなかったのだろう」

「不安になりやすい性質にも、何か意味があるのだろうか」

進化という言葉を聞くと、生きるうえで不利な特徴は、世代を重ねるうちに消えていくように感じるかもしれません。

しかし、自然選択は病気をすべて取り除く仕組みではありません。精神疾患が存在し続ける背景には、多数の遺伝的要因、新しく生じる遺伝子の変化、心を守る仕組みの性質、環境との関係などが重なっていると考えられます。

「精神疾患には、昔の人類を助ける役割があったから残った」と、一つの物語で説明できるわけではないのです。

今回は、精神疾患を進化の視点から考えると何が見えてくるのか、遺伝学や行動実験の研究も交えて解説します。

進化は、人間を幸せにするために進むわけではない

まず押さえておきたいのは、進化には「健康で幸せな人間を完成させる」という目的がないことです。

自然選択では、ある環境のもとで、遺伝的な違いが次の世代への伝わりやすさに影響します。その結果として、集団の特徴が世代を通じて変化します。

そのため、「本人がつらくないこと」と「進化の過程で残りやすいこと」は、必ずしも一致しません。

また、不利な影響がある特徴でも、その影響が小さい場合や、条件によって異なる場合には、簡単にはなくなりません。集団が有限である以上、偶然による遺伝子頻度の変化も起こります。

ここで使う「有利」「不利」は、特定の環境での生存や次世代への伝わりやすさに関する専門的な意味です。人としての価値を表すものではありません。

「精神疾患の遺伝子」が一つあるわけではない

精神疾患がなくならない理由を考える際に、重要なのが遺伝的な仕組みです。

多くの精神疾患は、一つの遺伝子の違いだけで発症が決まる病気ではありません。多数の遺伝的な違いが、それぞれ少しずつ発症しやすさに関わっています。

例えば、2022年に『Nature』に掲載された統合失調症の大規模研究では、最大76,755人の患者さんと243,649人の対照者を解析し、発症との関連がある287か所のゲノム領域が報告されました。

これは「統合失調症になる遺伝子が287個見つかった」という意味ではありません。関連が認められた領域であり、個々の変化がどのように病態につながるかは、さらに調べる必要があります。

一つひとつの影響が小さく、その変化を持っていても発症しない人が多ければ、自然選択がそれを減らす力も弱くなります。

両親が同じ病気を発症していなくても、子どもが受け継ぐ遺伝的要因の組み合わせや、発達・環境の影響によって、発症しやすさは変わります。

したがって、「発症した人からだけ病気が受け継がれる」と考えると、実際の仕組みを見誤ります。

新しい遺伝子の変化は、毎世代生じている

もう一つ大切なのが、新たな変異です。

DNAが次の世代へ伝わる際には、親にはなかった遺伝的な変化が生じることがあります。「新生変異」「de novo変異」と呼ばれます。

仮に、ある変異が自然選択によって集団の中で減っていくとしても、別の家系では新たな変異が生じます。そのため、不利な影響のある変異が、集団から完全になくなるとは限りません。

こうした仕組みは「突然変異と自然選択のバランス」として考えられます。

2022年の別の『Nature』の研究では、統合失調症の患者さん24,248人と対照者97,322人などのデータを解析し、10個の遺伝子における極めてまれなタンパク質の配列に関わる変異が、発症リスクと強く関連することが示されました。関連する遺伝子群では、新生変異の集積も検討されています。

ただし、これは精神疾患の大部分を新生変異だけで説明できるという意味ではありません。

影響の小さい一般的な遺伝的変化と、影響の大きいまれな変化が、同じ疾患の発症しやすさに関わっているところが、精神医学の難しさでもあり、興味深さでもあります。

不安は「誤作動の多い警報装置」なのか

遺伝の話とは別に、心の働きそのものから考える視点もあります。

例えば、不安はつらい感情ですが、危険への備えを促す機能もあります。

草むらで何かが動いたとき、それが風なのか、危険な動物なのか、すぐにはわかりません。

風なのに逃げた場合は、時間や体力を少し失います。一方、危険な動物なのに逃げなかった場合は、命を失うかもしれません。

このように、見逃したときの損失が非常に大きければ、多少の空振りがあっても、早めに警報を鳴らす仕組みが成り立ちます。

進化医学では、これを「煙感知器の原理」と呼びます。火災を見逃さないためには、料理の煙でも鳴ってしまう感知器の方が、条件によっては合理的だという考え方です。

ここで区別したいのは、不安という反応の機能と、不安症という病気です。

不安が役立つ場面があるからといって、パニック発作や、生活を大きく制限する不安まで、そのまま有益だとはいえません。

警報装置が備わっている理由と、警報が鳴り続けて暮らせなくなる理由は、関連しながらも異なる問題なのです。

「うつ病は休むために進化した」という説明は正しいのか

気分が落ち込むと、活動が減り、無理な挑戦を控えることがあります。

このことから、「抑うつは、達成困難な目標から撤退するための反応ではないか」「損失や対人関係の問題に向き合う働きがあるのではないか」といった仮説が提案されてきました。

ただし、ここから「うつ病は休むために必要な病気だ」と結論づけることはできません。

短期間の気分の落ち込みと、強い自責感、興味や喜びの喪失、食事や睡眠の障害などを伴ううつ病は、同じものではありません。

防御反応として始まった仕組みでも、過度になったり、長引いたり、状況に合わなくなったりすれば、本人を傷つけることがあります。反対に、すべてのうつ病が、もともと有益だった反応の延長として説明できるとも限りません。

進化の仮説は、「なぜ人間に落ち込む能力が備わっているのか」を考える手がかりにはなります。しかし、個々の患者さんのうつ病に、必ず何かの目的があると決めつけるものではありません。

ADHDの特徴が、採集ゲームでは有利だった?

環境によって特徴の意味が変わることを示す、興味深い実験もあります。

2024年に発表された研究では、成人457人が、画面上でベリーを集める採集課題に取り組みました。

同じ場所にとどまると、少しずつ収穫が減っていきます。別の場所へ移動すれば収穫は回復しますが、移動には時間がかかります。

つまり、「今ある場所を使い続けるか」「新しい場所を探すか」の判断が必要です。

その結果、ADHDの自己記入式スクリーニングで基準を満たした参加者は、より早く別の場所に移り、平均的には高い報酬獲得率を示しました。

一つの場所にとどまりにくい傾向が、この課題では探索を促し、成果につながった可能性があります。

ただし、参加者は臨床的にADHDと診断された集団ではなく、画面上の課題も実際の狩猟採集生活とは異なります。この実験から「ADHDは狩猟採集に適応した結果である」と証明されたわけではありません。

それでも、ある特徴を、環境と切り離して「常に長所」「常に短所」と評価することの難しさが見えてきます。

精神疾患は「才能の代償」だから残ったのか

精神疾患と進化の話では、「創造性が高くなるから、関連する遺伝子が残ったのではないか」という説明もよく登場します。

実際、2015年の『Nature Neuroscience』の研究では、統合失調症や双極性障害のポリジェニックリスクスコアと、芸術団体への所属や創造的な職業との関連が報告されました。

ポリジェニックリスクスコアとは、多数の遺伝的な違いの影響を合計して、疾患への遺伝的ななりやすさを統計的に表した指標です。

ただし、この結果が示すのは集団における関連です。

「病気になると創造性が高まる」「患者さんは皆、特別な才能を持つ」「治療すると才能が失われる」といった結論は導けません。

さらに、創造性との関連があったとしても、それが過去の環境で子孫の数を増やし、発症に伴う不利益を十分に補っていたかどうかは、別に確かめる必要があります。

約230万人を対象にしたスウェーデンの研究では、統合失調症や双極性障害の患者さんの姉妹で、子どもの数がわずかに多いという関連がありました。しかし、その増加だけでは、患者さんでみられた子どもの数の減少を補えませんでした。

「家族に有利な特徴があるから病気が残った」という仮説も、それだけですべてを説明できるわけではないのです。

診断名ごとに、別々の進化の理由があるとは限らない

さらに、現在の診断名と、遺伝的な仕組みが一対一で対応しているわけではないことも重要です。

2025年にオンライン公開された『Nature』の研究では、14種類の精神疾患について、患者さん約106万人のデータを用いた解析が行われました。

その結果、各疾患の遺伝的な関連は、大きく五つのまとまりとして整理され、統合失調症と双極性障害、うつ病と不安症・PTSDなどの間に、遺伝的要因の重なりが示されました。

これは、診断の違いが無意味だということではありません。

ただ、「うつ病の遺伝子は、この目的で残った」「双極性障害の遺伝子は、別の目的で残った」と、病名ごとに独立した説明を作ることには限界があります。

自然選択が作用してきたのは、現代の診断基準そのものではなく、脳の発達や情報処理、感情の調節などに関わる、生物学的な違いだからです。

進化的な説明から、治療の必要性は決まらない

精神疾患が存在し続ける理由を考えるときには、次のような説明を分けておくと理解しやすくなります。

視点考え方解釈するときの注意点
多数の遺伝的要因影響の小さい多数の違いが、発症しやすさに関わる一つの「病気の遺伝子」で決まるわけではない
新たな変異自然選択で減る変異があっても、新しい変異が生じるすべての精神疾患をこれだけで説明できない
防御反応の性質不安などは、危険を見逃さない仕組みとして理解できる反応の機能と、疾患の有益性は別の問題
環境との関係同じ特徴でも、課題や環境によって影響が変わる昔の環境で有利だったと、直ちに証明されるわけではない
他の特徴との関連疾患のなりやすさに関わる要因が、別の特徴にも関わる才能との関連だけでは、進化の理由は確定しない

これらは互いに排他的な説明ではなく、疾患や遺伝的要因によって、複数の仕組みが関わると考えられます。

そして、進化的な背景があることと、現在の苦痛を治療すべきかどうかは別です。

痛みには身体を守る機能がありますが、慢性的な痛みを放置する理由にはなりません。同じように、不安や気分の変化に何らかの機能があるとしても、強い苦痛や生活上の支障には、治療や環境調整を考える必要があります。

精神疾患が進化の過程でなくならなかったことは、本人の努力不足を意味しません。また、病気の中に特別な才能や役割を見つけなければならないわけでもありません。

進化の視点が役立つのは、人間の心を「完全に合理的で、いつも安定しているはずのもの」と捉える代わりに、さまざまな制約や揺らぎを持つ仕組みとして理解できるところです。

当院では、症状だけでなく、睡眠、生活環境、対人関係なども確認しながら、現在の困りごとを軽くする方法を一緒に考えていきます。

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情報確認日:2026年10月23日

執筆及び医学監修:高橋 和政(ことのはメンタルクリニック院長)